デザイン基礎の添削を行っていて毎回気になることがある。
このテキストブックは、確かに「自分専用の・書き込みで汚れてしまってもかまわないノートブック」であるとの側面もまた同時にもっている。
しかし、添削の作品をつくつということはやはり「提出して、ひと(つまり、添削担当者という第三者)にみてもらう」といういわば社会的な行為を含んでいくことだ。そこのところの視点が「あまりに欠けている」と思わざるを得ない例が数多くみられる。
無論、気になるテーマやキーワードをすぐに書き留める。街をあるいて居ても常に携行し気になるけしきをスケッチする。大いに奨励したいことだ。
しかし、ほんとうはそういった結果としての作品ではないのに、「いかにもそれ風なこれみよがしの書き込み」や「わざとらしいスケッチ」などは添削を担当していて悲しくなる。誌面というかページからそういった虚しさがつたわってくるのだ。
課題というのはたしかに期限もあり、一種の義務的なやりとりになってしまう側面もある。しかし、本来こういった非常に自由な、創造性をいっぱいにひろげられる作品に取り組むというのはこの上なく楽しいはずだ。建築やデザインを目指す学生ならよりむしろそうでなければならない。いや、本来そうであると思いたい。
レイアウトを揃えるとか、文字を云々というのはその結果の枝葉末節であることを忘れないでいただきたい。