環境デザイン演習[建築]I-1コレクション100に取組むときに多くの学生が最初に感じる疑問は、そもそも「学校」とは「美術館」とは「福祉施設」とは何なのだろう?その定義は誰が決めているのだろう?というものだ。この疑問を持つことはある意味正しい。疑問を持てなかった人は注意が必要かもしれない。
その疑問を解く1つの鍵としてビルディングタイプという考え方があげられる。ビルディングタイプとは、一般的に「学校」や「美術館」といった使用の目的に基づいて建築を分類する考え方である。それは建築史で学ぶ様式に基づいた分類では知ることができなかった一面を見せてくれる。
例として「学校」がどのような社会的制度の要求の基に成立したのかを見てみたい。五十嵐太郎+大川信行著『ビルディングタイプの解剖学』をひもといてみよう。
「例えば今日のような学校の形式は、いわば均質な労働者の育成をめざした公教育以後、つまり、十九世紀半ばにその出現を見る。クラス・ルーム型の平面が生まれたのも、ほぼこのときである。均質で健康な市民を再生産するという意味では、監獄や病院も根は同じだ。」
ここでは、18世紀後半の産業革命を発端に労働者を大量に必要とした社会が、学校で効率よく子供たちを教育したいという要求のもとに、今日の学校教室の原型が生まれ、発展していく過程が詳しく述べられている。
また前述の監獄という言葉に関連して、ビルディングタイプ論に衝撃を与えたミシェル・フーコー著『監獄の誕生』を見てみよう。第三章一望監視方式では中央に監視塔を置きそれを取囲むようにして配置したパノプティコン(一望監視施設)が権力を個人の中に内在化することの可能性を指摘した。その上で彼はこう締めくくっている。
「監獄が工場や学校や兵営や病院に似かよい、こうしたすべてが監獄に似かよっても何にも不思議はないのである。」
このように「学校は」効率よく教育を施すための施設という、1つのビルディングタイプとして成立していった。だが、社会的制度から成立したあらゆるビルディングタイプには疑う余地はないのであろうか。建築家は制度を空間化することだけを望まれているのだろうか。
山本理顕著『住居論』より
「今の制度自体を変えるための最初のきっかけとして建築を待っている人々がいる。彼らを裏切らない努力はこっちの側の問題なのである。もし建築家に主体性のようなものが真に問われるとしたら、私たちの働き場所はそこにしかないように思うのだ。」
1つの例として、シーラカンスが設計した千葉市立打瀬小学校(※1)を挙げることができる。ここでは、ある意味隔離され閉鎖されていた、従来型の教室を開放している。空間の開放が制度の開放を促し始めた事例と言えるだろう。
コレクションの課題で抱いた素朴な疑問は、建築家としての在り方にも通じる重要な問いに繋がっていた。大学の課題では、とにかく手を動かし前に進むことが必要である。しかしこの問いはいつも頭の片隅に置いておくべきであることは明らかだろう。
関連用語:
ビィルディングタイプ