建築家とは如何なる職業か?周知のこととして、考えてみる機会はほとんどないかもしれない。しかし、一度は考えみる必要のある事柄であろう。
そこで、今回は建築家武田五一を一例にあげてみたい。彼は明治後期から昭和初期まで、京都をはじめ関西を中心に活躍した建築家として一般に知られている。例えば、京都府立図書館、京都大学時計台、京都市役所といった京都という都市の近代化において欠かせない建築を数多く手がけた人物である。しかし、設計という活動に限定せずもう少し視野を拡げてみてみると、現在のいわゆる「建築家」という職業では捉えきれないような活動も行っていることがわかる。五一は、明治37年、ヨーロッパ留学から帰国し、京都高等工芸学校(現在の京都工芸繊維大学)図案科の主任として京都へ赴任した。そこでは、地元の工芸家や日本画家、洋画家、実業家等が集まった工芸団体に参加し、今後京都でどのような工芸品をつくるべきか、製作に関する方向性を示すことや、具体的な図案の指導を行っていた。建築のみならず、いわゆる京都の伝統的な工芸品の近代化に大きく関与したわけである。さらに、家具や生活に際して必要な用具など生活空間全体をデザインするという活動も同時に行っていたことから、現在では「生活デザイナー」として再び注目を集めている。
そこには、そもそも建築家という職業、あるいは建築といった言葉(概念)が従来の日本にはなく、明治期に西欧から輸入され、定着させていく過渡期であったという歴史的な背景がある。また同時に、「工芸」という領域や概念そのものも、西欧から導入され、その形成期にあったという状況も見逃してはならないだろう。
過去を紐解けば、建築家とはこうあるもの、伝統工芸とはこうあるべきという教えより、歴史的につくられてきたものであるという認識が重要であることがわかる。そして過去から現在を逆照射すれば、「建築家」が意味する内容は現在進行形で今なお継続してつくられているモノなのだといえる。