『断片というのは相互に無関係で分裂していて、チャンスオペレーションのようなものです。これは偶然だよと言ってしまえば、それですんじゃうわけですよ。ところが断片が輝いて見えるときというのは、どんな断片の歪みにも必然性を感じる。すると、その必然性を与えているはずの、断片どうしを結びつけるだろうストーリー、未だ不在の事件をでっちあげられるかどうかにかかってきます。それをうまくやれば、どんなでたらめなものでも輝いてしまう。』
岡崎乾二郎/MUSIC TODAY 20号対談抜粋
これを建築の設計作業において考えてみると、コンセプトをどのように組み立て、建築が生成する軸をつくるかということが浮上する。
つまるところ、敷地の条件や法規、土地のコンテクストや求められる用途や与件・・・等々を論理的に整理し、順列をつけたり、差し引いたりしながら大きな矛盾がないようにしていく言語作業のみで、ほぼそこに建つべき形が見える。あとは形をエスキスして寸法を落とし込み、形を調整すれば理路整然とした建築が建ってしまうだろう。しかしそれだけでは、要求をクリアしただけの、建築として魅力に欠けたものになる。
冒頭引用の岡崎氏の発言にある、でっちあげの行為から生まれる「でたらめなもの」というのは容易くできるようでいて、実のところはとても高度なテクニックを要する。それは一歩間違えれば正真正銘のでたらめさを露呈してしまうからである。「でっちあげ」と言うと聞こえは悪いが、それはフィクションと言ってもよいし、モンタアジュとも言えるが、コンセプトを組み立てる際には、少なからず「真のでっちあげ」をいかに緻密に組み立てるかということが関わっている。それは、設計者が固有に感じていることを客体として把える作業であり、青写真を描く作業でもある。エスキスには、これらコンセプト(概念/観念≠真のでっちあげ)を詰める作業を前提としている。
2年次対象のシャレット・パビリオンでは、条件をクリアし、かつ設定している実際の敷地を訪れるのでそこで周辺の様々な微細な情報をキャッチし、与件を抽出し、各々が作品に反映させることができるのであるが、この「与件を抽出する」という作業がまだ伝わっていないように感じるのが本音である。まさに「でっちあげ」の観念に必要となる題材を探すというわけだが、それをはじめから意識しても何も降ってこないので、まずは真っ当に現地調査を行いながら、何かないかと目を凝らして見る・聴く・匂う・などして記録する。この小1時間の間でどこまで像が立ち現れるかが重要なところでもあるので、是非とも楽しみながら敷地と取っ組みあっていただきたいものである。