建築においてインテリアはどのような意味を持っているのだろうか。
ルイス・カーンは「建築は部屋をつくることに始まる」と述べ、その「ルーム」についてのスケッチでは、「私」と「あなた」がいて「暖炉」「窓」が描かれている。人と人の関係性を作る空間、暖炉の前のくつろげる場所、窓から差し込む光、内の世界と外の世界をつなぐ窓。これらが部屋をつくるために必要な要素であると読み取ることができる。その中でも「構築体は光を与え、光は空間をつくる」と言わせるほどカーンの建築において光は重要なものである。そしてその光は窓によって取り込まれる。カーンの建築とインテリアは、窓によって何の違和感もなく結び付けられている。だからこそカーンの住宅は内側から生まれてくるような印象を受ける。
英文学者の高山宏は、室内装飾(インテリア)と精神的内面(インテリオリティ)が鏡映の関係にあることを、Oxford English Dictionaryに見る言葉の語源や、芸術と文学を横断する分析から指摘している。「インテリア即ち心の構造」、つまり自らの内面が発露する場としてのインテリアという考え方である。
この考え方は、決して突拍子のないものではない。例えば吉村順三はその著「住宅作法」の中で、まず置きたい家具とその配置を決め、それから部屋の広さを割り出す方法もあると述べている。家具を配置するとき、当然それを使う人同士の物理的・精神的距離感を考慮して配置する。置かれた家具からは家族の関係性そのものを読み取ることができるだろう。身体・精神両方のスケールから空間を構成するべきであるという主張ともとることができる。また、谷口吉郎は「清らからな意匠」において都市に現れるカンバン・ポスター・ポスト・警官の制服・橋の形など、世相の造形的美醜にこそ、民衆の美的水準が示されるとしている。ここでも内にあるものが外へと反映されていくことが述べられているのである。そしてそれは個人・集団・国というあらゆるスケールでおこっていると言えるだろう。
精神や脳での思考が室内に反映されていくという説を受け入れるとして、先の吉村や谷口の時代と、現在で大きく異なる点がある。それは世界のうちの一部が肥大化したことだ。その世界はサイバースペース(*1)である。サイバースペースを利用することで、私たちの時間と距離の感覚は伸びたり縮んだり、進んだり戻ったりしているように感じる。例をあげると、「昼間」にインターネットを通じたチャットで、オランダにいるAと会話をする。同時に携帯電話で「昨夜」吹き込まれたBのメッセージを「今」聞き、そのメッセージを聞くタイミングが「すでに」遅すぎたことに気付く。といった具合だ。遠く離れたAと、数時間前に存在したBの声を同時に聞く。それぞれがいる空間では別の時間が流れて物事が進行している。以前はそれぞれの時間が出会うタイミングは限られていたように思うが、今はその機会は増え自分で選択できる。ときに混乱するその時間と距離の感覚は私たちの精神的内面(インテリオリティ)に無意識的にでも何らかの影響をもたらしているだろう。であればそれは室内空間(インテリア)へ反映されていくはずである。インテリオリティにおける時間と距離の変化がインテリアへ反映されるにはもう少し時間がかかるのかもしれない。しかし反映されたインテリアから建築を構築していけば、何か興味深い空間のあり方を発見できるかもしれないと考えている。
*1:『サイバースペース』マイケル・ベネディクト編 NTTヒューマンインターフェース研究会+鈴木圭介+山田和子訳/NTT出版/1994年 参照のこと