例えば「時間」。
わたしたちの日常の感覚としては時間は一定方向に絶え間なく流れているので、乱れた流れや秩序が際だった流れにわたしたちの目は留まります。
例えば京都やローマといった歴史都市の都市空間はその細部に千年以上にわたる時間の重なりをそのまま体現しているのでわたしたちは魅せられるのです。限られた空間の中で時が順番に積み重なって層を成している、そんな積層が秩序ある「ものさし」として、例えば風致や景観の論議の場でも機能する訳です。
また、空間を時間で割り算すると「速度」という別の視野が開けてきます。速度は空間の変化を表し、速度によってわたしたちが受け取る情報は異なります。例えば空間に対する静止画と動画とでのイメージの差、あるいは歩きなが受け取る情報と車からのそれとでの肌理の細かさの違い、その量の違いなどは実感として頷けると思いますし、高速道路のように空間が速度を要請することもあります。
さらに時間とわたしたちとの関係では「鮮度」という思考もあります。鮮度は淀みなく流れる時間をせき止めるようとする試みにともなって生じる尺度で、時間を細切れにするそのひとつひとつの大きさと考えられますが、その細かさの度合いはわたしたちが空間を消費する速度によって決まると考えられます。
このように、わたしたちの生きる時間と空間の生きる時間との差からは歴史的価値観が生じ、平行し重なる部分では住まいのような日常が、交点では祭りのような非日常空間が現れる。そしてわたしたちの生きる速度にわたしたちの生きる時間を掛けると空間が立ち上がるのです。
京都市中京区寺町三条(写真:長谷川知美) |