静止ということは、人の五感に対する刺激が、安定している、ゼロに近いということである。音もなく、無風の、視覚的な働きのない世界は、動的ではなく静的である。光のない闇の空間は、天空ではなく地下をイメージさせる。単調なリズムの繰り返し、左右対称のシンメトリーな造形、秩序だった配列、そよ風や心地よい香りは、安定した静的な刺激となり、人がくつろぎたいときや、眠り、いやし、回復したいときの環境にふさわしい。
生命体にとって、1日24時間のリズムの中に、休止する時間と空間は不可欠なのである。昼は活発に活動し、光やエネルギー源や食料を外部から吸収する時間であり、夜は吸収したものを咀嚼し、消化し、ストックし、成長し、静止する時間なのである。特に、眠るという行為、それは最も無防備で危険な時間と空間でもある。空を飛ぶ鳥も、飛翔するかたちを持っていても、静止状態ではやむなく翼をたたむのである。まして、巣という空間にいるとき、卵も、雛も最も敵にねらわれやすい。
こういった、夏と冬、光と闇、動と静のバランスは、リズムとして不可欠であり、そのハーモニーが空間と時間を豊かにする。スポーツ選手の万人が認める美しいフォームは、この静止した時の力を内にためたかたちから、ダイナミックにエネルギーを放出する過程にある。高速度分解写真などで、そのことはよく知られている。
歴史は静止画像から動画という、よりリアルな画像への急速な進化をとげてきた。しかしなお、絵画が魅力的なのは静止画像であるからだ。写真も時間をとめることができる。記憶しているかたち、過去のかたち、時間をとめたかたちは静的なものであり、かたちの故郷はこうした意味づけられた静止画像にあるのではないか。
(上)サン・フランチェコ修道院の中庭 イタリア、アッシジ
(右)アッシジの路地
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