碁は一定の座標平面上での黒と白との陣取りゲームで、その勝敗は白黒の石の境界の位置で決まります。
空間を考えていくときにも内と外、表と裏、光と影、ハレとケというように対象を二つに分けて考える方法があります。図式としては一本の境界線を挟んで、その左右および境界線からの距離を要素ごとに定めて位置付けていくものですが、碁と同じようにその「境界」(→ひらく・とじる、わかれる、かまえる)の近辺が重要になってきます。というのも、左にも右にも位置付けし難いなど一本の線引きでは処理し切れない場合どうするか、どう位置づけていくのかといったところに読み手の思考が端的に表れるからです。
そういった場面での思考の方法のひとつに左と右の間にもうひとつの領域を設けて、あいまいな部分を吸収する方法が考えられます。もうひとつには左と右が接するのではなく重なり、あるいは混ざり合っていると考える方法もあります。
両者を京都の町屋の空間を例に述べれば、前者では前面の格子(→みえかくれ、せん)と道路の間の軒先空間が、後者では町家の中に設けられた坪庭に面する濡れ縁が挙げられます。道路に面したイエの軒先はミセと道をつなぎながら他者を排除する空間で、両方から断ち切られた独立した存在になっているのは竹で作られた犬矢来を見ればよく分かると思います。濡れ縁もまた屋内と屋外に挟まれた部分ですが、それぞれを仕切るものは一切なく、縁側を介して両者が交じり合っています。
このように、空間は境界を持っていて、離れたり、接したり、混ざったり、重なったりと様々な関係を持っていると考えることができる。そしてわたしたちはなぜ分けて考えるのか、思考の中に境界が発生する理由もまた考えてみるべきでしょう。
京都市左京区北白川(写真:大島千秋) |