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空間を読むということ

では「空間」を読むとはどういう方法なのでしょうか。

この時点では空間をはっきりと提示することはできせんが、わたしたちには空間に関わる豊富な経験があるはずです。感覚を研ぎ澄まして感じ取る、あるいは知識を蓄積する、体を動かして体験するなど五感を駆使したいろいろな方法を通してわたしたちは経験を積むことができます。

具体的にいうと旅行に出かけることや祭りに参加すること、美術や演劇、映画などを観賞すること、泳いだり跳んだり寝たりすること、RPGゲームで新しい面に進むこと、毎日同じ通学路を通うこと、本を読むこと、写真を撮ること、設計をすること、といった体験とそこから推し測られ導かれる判断は全て経験です。

つまり経験とは、日常を積み重ねる(継続)なかで時にその日常を分断して(異化)未だ見ぬものを訪ね(発見)、そこから確信を得る、それらの総体だといえるでしょう。

わたしのページでは空間を考えるにあたってこのようなわたしたち自身の経験を手掛かりにしようとしています。 経験を糸口としてわたしたちは自分のさまざまな空間体験を自らの感受性で測り直して見る、各自の憶見や知見が多く含まれている経験を自ら深く問い直してみることによって憶見や知見を含まない『原的な直観』[竹田、1989、50ページ]という意識の底辺に到達できる。そんな『確信の条件』[竹田、1989、42ページ]をつきとめることこそ空間を読むことに他ならないのです。
つまり、空間を読むとはあなたがあなた自身の『経験に向かって問いかける』[西、1996、58ページ]ことなのです。

京都市北区上賀茂(写真:加藤聖子)