ここで言う空間の「構造」という言葉には、空間に係る物理的な力を具象するものとしての一次的な構造と、その構造が生む空間の作用という二次的な構造の両方の意味があります。
西洋建築の空間、例えばゴシック様式の教会のヴォールト天井は屋根からの垂直方向の荷重を柱へ伝えていますが、その尖ったアーチは見る者に力の流れとは逆に上昇感をもたらして、神に近づく感覚を与えてくれます。これは一次の構造がつくるボリュームと二次の「構造」がもたらす作用を当時のひとたちが認知し自らのものとして表現するにまで至ったものといえるでしょう。
ギリシャに始まって近代に至る西洋建築の歴史を概略すると、柱の壁の外側から内側への移動とそれに伴うファサードや壁の重力からの解放を経た結果、構造は表に現れない隠蔽されたものになってきました。しかしそれは絵画における具象から抽象へといったものではなく、水面下でもがくシンクロナイズドスイミングのようなものでリアリティーを欠くように思います。わたしたちが求めるのはもっとリアルな、重力(→うかぶ、のぼる・くだる)への抗いが表現にまで至った構造ではないでしょうか。
構造という視点から見ると、空間の主体は時代とともに重力とわたしたちの間を振り子のように揺れ動いてきました。いま主体はどこにあるのか、わたしたちはどこにあるのかが問われているように思います。
京都市左京区蹴上(写真:山崎清道) |