自らの意図に、より大きな説得力を持たせようとしたかつての人々は、球や正六面体、正八面体などの立体を神の名の元の絶対的な構造として利用することを考えました。やがて人々はそれらの原形に操作を加えることで左右対称や点対称、その折り目としての軸線といった秩序を手に入れてきたのです。黄金比やシンメトリー(対称)など調和を求め、秩序化を欲する指向は今日まで連綿と続いていて、アシンメトリー(非対称)や軸線のずれといったこともその延長線上にあるといえるでしょう。
しかし、どうやら空間のすべてをそういった秩序では埋めきれないらしい、ということが近代になって分かってきました。そこでその壁を乗り越えるために絶対的な秩序を要請せずに空間を扱う方法が求められるようになったのです。
具体的な例で言うなら、四方を道路で限定された概ね四角い街区(ブロック)が規則性を持って平面を埋めた京都の町は秩序のみで成立している訳ではありません。街区の縁のあたる道路に沿って建物を並べていくとブロックの真ん中が残ってしまうし、残らないようにしようとするとやたら奥に深い、細長い建物になってしまいます。そんな規則性の持つ矛盾を補い埋める工夫や知恵にこそわたしたちは注目すべきでしょう。
例えばその京都の街で秀吉は街区を縦にふたつに割ってその規則性を更新しましたし、町や建築の中から坪庭やロージ(路地)といったボリュームを抜くことで矛盾を埋めていく手法も多く見ることができますが、前者は規則性を更に重ねて補完していく方法、後者は規則性をはずしていく方法といえるでしょう。
ひとつの論理だけで空間を貫くことはむずかしいようです。そして壁に突き当たったときに貫くことのできる範囲で整合性を追求するか、あるいは側面から貫通をめざして掘り進むのか、問う者の姿勢が問われています。
京都市左京区田中(写真:加藤聖子) |