ーー秋本さんはこの美術館の運営に当初から関わられていますが、ここから何を外に出そうと思っていたのですか?
もともと自分が作品を作っていたっていうことも関わっていたと思うんですけど、作品が、美術が置かれている状況、現代美術が置かれている状況っていうのが、なんか発表している過程で、これでいいのかなって思っている状況があって、まぁアーティストは一生懸命作品を作って、展示したりとかして、で、ところがその一般の社会と言うところまで届いていない、接点が少ないと思ったんですよね。
で、ここでひとつやりたかったのは出来るだけダイレクトに、多くの人にコミュニティなり、地域なり、社会なりにアートをぶつけていく場みたいなのを作りたいっていうのは当初からずっとあったんですよね。で、東京でやってて、やっぱ東京はすごくデカいし、情報のなかで情報としてどんどん消費されていっちゃうっていうのが強いから、長い時間かけてなにかこう作品を通してやりとりするっていうのは難しいですよね。でこっちへ来て、まぁ、小ちゃい社会だし、ある部分では変な言い方だけど、政治やってる町長さんだとかね、行政の人たちだとか住んでる人たちとか、漁師さんだったりとか、農業やってる人だったりとかするし、色んな人たちの顔が見える。やっぱり社会を動かすために、役割としてはみんなこう、持ってるわけですよね。大きな社会と同じような。そういう人たちにそういう中で、身の丈サイズでやれるっていうのが面白そうだなと思ってこっちへ来て、どこまでやれるかやってみよう。と。
ーーおみやげという言葉、これを一つのメタファーとして考えてもらったらいいんですけど、例えばベネッセでの秋本さんの活動におけるおみやげというのは何ですか?
うちは持って帰るものを作ることが非常に下手だと言われていて、色んな人に、要するにおみやげがない、ないと言われてきて、多分なんかこう、ここで感じていることを、ここのエッセンスみたいなもの、ここの一端みたいなものを持って帰りたいなと思うみたいで。
でもなんかそれがずっとうまく形に出来なくて、それはどうしたもんかなぁと思っているのが一つで。あと時間が経てばなにか生まれるかな、という気楽さで居たりしているからなのかもしれないけど。
ちょっと話がズレちゃうかもしれないけど、ここを作る時も、なんかこう例えば、間接的なメディアを作るときいつももめるんだけど。片一方で伝わらないよという思いもあるんですよね。例えばこれを作るスタッフとかは何か伝えるものを作らなければいけないんじゃないの、みたいな話もあって、もうほとんど喧嘩みたいになったりしたんだけど、やっぱりここに来てもらわなければ、伝えられないし、実際にここに来てもらわなければ分からないんじゃない?っていう意見と、まぁそうは言ったってこれをね、少しでもその感覚を持って帰ってもらったりとか、伝えるようなものが必要なんじゃない?みたいな。
これはなかなか良い答えが見つかってないんだけど。