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歴史遺産の部屋

古代のお盆

2021.08.22

みなさん、こんにちは。業務担当非常勤講師の岩田です。長雨が続きましたが、みなさんのお住まいの地域は大丈夫でしたでしょうか。

関西のおすすめの博物館があと2つほどありますが、コロナの感染が拡大している状況なので、また落ち着きましたらご紹介したいと思います。

本日は、お盆も過ぎてしまいましたが、古代のお盆について書きたいと思います。現在のお盆は、先祖の霊を家に迎え、供養するというものですが、平安時代のお盆の行事は違う形で行われました。

平安時代中期、天皇や貴族達は、旧暦の7月14日に亡くなった父母のために盆供を用意して拝し、故人の忌日供養が行われる寺(故人が建立した寺、故人の一族のための寺など、故人にゆかりのある寺)へ送るようになりました。父と母のための盆供は別々の寺へ送られることになります。盆供はお米が主だったようです。対象は漠然とした「祖先」ではなく、身近な故人です。父母が基本であり、場合によって、祖父母や夫、妻、子も対象となりました。

現在の感覚ですと祖父母も基本的に対象なのかと思いそうですが、当時の忌日供養の対象も父母が基本であり、祖父母の養子なった場合などに、養父母である祖父母に対して忌日供養が行われているので、拝盆行事も同様の基準があったのでしょう。送られた盆供は翌7月15日にそれぞれのお寺の盂蘭盆会に供えられました。この時期の貴族達はお寺の盂蘭盆会には参加していません。

では民衆はどうだったのでしょうか。都では7月15日、人々は寺に詣で、親のための盆供として米や菜等の食物を供えていました。平安時代末期に成立した説話集『今昔物語集』には、7月15日の盂蘭盆の日に、貧しい女が親のために食物を供えることができなかったため、着衣の表地をほどいて盆に載せ、その上を蓮の葉で覆って和歌を添えたものを持って、愛宕寺に参り、お供えしたという話があります(二十四―四十九)。

古代には、盂蘭盆とは別に、死者の魂を祭る日がありました。それは十二月の晦日です。平安時代初期に成立した仏教説話集『日本霊異記』には、人や獣にいつも踏まれていた髑髏を木の上に置いた人が、12月の晦日に死者から恩返しを受け、その死者の家に連れて行かれ、死者のために供えられたご供物をご馳走になります。「時にその母と長子と、諸霊を拝せむが為に其の屋の内に入り・・・」とあり、当日の様子がうかがえます(上―十二、下-二十七も同様の話)。この日の行事も対象は漠然とした「祖先」ではなく、亡くなった身近な故人でした(両説話とも両親が亡くなった子のためのご供物を用意しています)。

詳細は不明ですが、平安時代中期の藤原道綱母の『蜻蛉日記』や貴族の藤原実資の日記『小右記』にも、12月の晦日に「御魂祭」や「御魂を拝す」と記されており、平安時代の貴族層でもこの日に死者に対する行事が行われていたようです。

12月の晦日に死者の霊を祭る行事は、地域によっては現在も行われているそうですが、恥ずかしながら、私は年末にこのような行事があること自体知らなかったので、『日本霊異記』の説話を初めて読んだ時は、とても意外でした!


〈参考文献〉
古瀬奈津子「盂蘭盆会について―摂関期・院政期を中心に―」(福田豊彦編『中世の社会と武力』吉川弘文館、1994年)
山中 裕『平安朝の年中行事』塙書房、1972年

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