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平安貴族の結婚―正妻は誰なの?―

2020.05.12

みなさん、こんにちは。本日は自分の研究テーマの周辺にあることについて書きたいと思います。いきなりですが、みなさん、平安貴族の結婚についてどのようなイメージをもたれていますか?知らんがな、というつっこみをいれた方も多いかもしれませんが、だいたい以下のようなかんじでしょうか(時期により若干の違いあり)。

・婿取り婚が行われた。
・一夫多妻であった。
・そのうち、正妻は、親が決めた結婚相手である。
・正式な結婚では儀礼婚が行われた。
 ➀和歌の贈答 ②男性が女性宅を晩に訪れ、朝に帰る。朝、後朝(きぬぎぬ)の文を男性が女性へ贈る。男性は3日間続けて女性宅に通う。③3日目の晩には結婚披露の祝宴が女性宅で開催(男性が妻方親族と多面)・三日夜(みかよ)の餅を食べる。
・男性が女性宅へ通う婚姻形態。のち、夫婦で同居。ただし、二世帯同居はなし。

有名なところでは、『源氏物語』の光源氏が、元服(成人式)を終え、父桐壷帝の差配で有力者左大臣の娘葵の上と結婚した、というのが思い浮かびます。親同士の決めた相手、高貴な女性、左大臣宅への通い、といった条件からも葵上は光源氏の正妻だと、誰もが思うところでしょう。

ところがです。葵の上は正妻ではない、という研究者がいます。なぜなら、葵の上は光源氏と同居していないからです。実は平安貴族の「正妻」をめぐっては研究者の間では見解が分かれています。

結婚時に正妻は決定するという人もあれば、いやいや、正妻の地位は相対的で、妻の出自等により事後的に定まるという人もあります(後から高貴な女性と結婚したらその女性が正妻になるということ)。さらには、一夫多妻ではなく、一人の「正妻」以外は「妾」にすぎない(要は現代と同じ)という人もいます。なんということでしょう。どの説を信じればよいのか…。

とりあず、どの説も、夫婦での同居を重視しています。家庭内離婚という可能性もありますが、確かにまあ、同居していたら、赤の他人であるよりも夫婦である確率は高いです。

平安貴族の結婚を研究する材料は、貴族の日記や和歌が詠まれた状況を説明する和歌の詞書(ことばがき)、物語や説話などです。この時期は新出の史料は望めませんから、同じ材料を使って、研究者によって主張することが違うということが起こっています。これはどの研究テーマでも起こりうることですが、みんなが納得する定説はなかなか生まれないのです。

現代でも行われている「結婚」。その身近な社会慣習の歴史をたどると時代によって様々なかたちをしています。平安貴族の「正妻」を解く鍵は何でしょうか。私達のもつ「正妻」に対する固定概念を捨てるところから始める必要があるでしょう。でも、よっぽど用意周到に参戦しないと、先行研究との水掛け論になりそうなので、今はしばらく傍観しようと思います。

〇本の紹介
工藤重矩『源氏物語の結婚-平安朝の婚姻制度と恋愛譚―』中公文庫、2012年。

工藤氏は国文学者です。平安貴族の婚姻制度については、一夫一妻制(ほかの女性は妾)であったと主張しています。その主張に基づき、『源氏物語』を読み解きます。一夫一妻制をふまえて、紫式部がどのように『源氏物語』を構想したのか、登場人物の女性たちの発言の裏には、妻としての立場の違いがどのように反映されているのか等々、わかりやすく解説してくれています。私は工藤氏の説を支持するだけの用意はまだありませんが、行間に隠された意図はこんなにあるのかと、目からうろこでとてもおもしろく読みました。

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