「集合して暮らす」ことが、とりもなおさず「都市」であることのあかし。京都に限らず歴史都市では、つながりの中に連続性を秘めたまちがいくつか見受けられる。
個々の住居のかたちは、一見無個性であるかのようで、しかしよく見ると、とても違いが際立っている。さらに重要なことは、この連続性によって周囲とほどよく調和し、「全体としてのありよう」を印象づけていく点にある。
「都市」はそこで時間がとまってしまうよりむしろ、いまなお変貌するダイナミズムを併せ持っていればこそだろう。しかしながらその上で、周囲に合わせるのか、意識的に別の要素を導入するのかという方向性は別として、「まちなみ」の中ではいずれにせよ個々の「建築単体」では存在し得ない「連続性」の中に身を置いていることは確かである。

集合のかたち/都市の姿のいろいろ
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イギリス南西部「キャッスルコーム」のまち並み
各住居の連続性と統一された素材、おなじ造形言語によってつくられた、調和のとれた景観。
中国蘇州のまち並み
アドリア海に面したイタリア南部のまち「アルベロベロ」の通称「トゥルーリ」
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