空間体験への原動力にはいろいろなものがありますが、そのひとつに奥行き方向への期待感があると思います。この先には何があるのだろう、この壁の向こうにはどんな空間が広がっているのだろうといった期待感は空間に欠くことのできない要素のひとつでしょう。
期待感を抱かせる空間装置には、例えば人を誘う開口部や順路、あるいは視線を通す透明なガラスのスクリーンのような直接働く「実」の仕掛けの他に、奥行きを連想させる「虚」の仕掛けが考えられています。
実の仕掛けは奥行き方向への視線がどこまでも見透せるようにして空間の奥行きを実際に現示するものですが、虚の仕掛けは空間の深さを現示せずに読みとらせようとするものです。イメージとしては手前のスクリーンの開口から覗いている奥のスクリーンにまた開口があって、直接には見えないのだけれども更にその奥へと視線が伸びていくような予感、言わば空間を思考という串で串刺しにするその手応えで奥行きを知覚しようとするものです。直接働く仕掛けが透明なガラスなどモノの性能の延長上にあるのに対し、虚の仕掛けはモノと直交する方向にある思考といえるでしょう。
そして、わたしたちは半透明という透明と不透明の間の領域も考えることができます。半透明とはすりガラスやメッシュなどモノに依りながらその性能を殺そうとするものやブラインドのようにその性能が可変なもので、前述の例えに倣うならばモノと斜交する方向にあると言えるでしょう。
奥行きへの期待感には空間を抜けていきたい、体験したい、つまり消費したいというわたしたちの欲望が隠されていると考えられます。
欲望が空間を生むのです。
京都市伏見区深草(写真:長谷川知美) |