点というかたちは、数学的には大きさも広がりもなく、位置を示すだけだ。しかし実際には、白い紙の上の黒い小さな点も、丸いかたちであったり、四角や三角や、イガイガのかたちであったりする。砂つぶ、光る星、蛍の光も点のかたちである。
地球儀上では、世界の大都市も点でしかない。多くの宇宙飛行士が暗黒の宇宙に浮かぶ青く輝く地球を目のあたりにしたとき、この地球ですら、宇宙のスケールのなかでは小さなものでしかなく、いっそうかけがえのない特別な星であると認識するようだ。
枝にとまっている蛍が発する光りは点であるが、空中に舞う姿は、優美な線である。飛行場の誘導灯は一個一個の点であるが、連続することによって方向や領域を示す点線となる。そして、点が広がれば面になり、上に積み重なると塊体となる。こういう思考の結果、発明されたカラーテレビは、光の3原色の赤青黄の点が1つのユニットになり、その光が、525本の走査線上を、1秒間に24コマの静止画像を連続させることで、人間の目には動画として映る。印刷も小さな点が集積したものである。
また印象派は、目に見えるかたちを、点という、面でも線でもない最小のものに微分する思考から出発したといわれ、そのことにより近代絵画は印象派よりはじまったとされている。すなわち、色を光によるものとし、光を絵の具の点で点描していくその作品群を思い起こせば、明快である。そして、何をどのように描くかという自問は、絵画の自立性を目覚めさせ、その後の近代絵画の流れをつくっていったという意味において重要性を持つのである。ひいては、かたちを決定するのは機能であるという機能主義の概念をも成立させた。それは歴史の呪縛からモダニズムを成立させていった20世紀の文明論とも連動する。
(上)(下)上賀茂神社境内につくられた点のかたち「立砂」
(中)印象派を代表する画家クロード・モネのパリ郊外アトリエの池
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