つくり手、売り手、買い手という3者の関係が経済の仕組みである。しかし、はざまにあった修理業や廃品回収業がいつのまにか見られなくなってしまった。つくり手の商品は広告というメディアにあふれ、売り手も町にあふれている。それと反比例して、どこでも見ることができた物をつくる現場とか、分解したり修理する職人技が身の回りから消えてしまった。さらに商品も、レトルト、使い捨て、電子化されたものなど、ますます軽薄短小、ブラックボックス化している。こういった物と人とのディスコミュニケーションは様々な問題をも引き起こしている。大量生産大量消費、ごみ問題などなど。
分解とはネジをひとつずつゆるめ、外皮をはがし、構造をむき出しにすることである。それぞれのパーツの役割を考え、部分と全体の仕組みを理解し、システムが見えてくる。そして分解したあとは、組み立ててねば元にもどらない。
ここから出てくるものは、様々な設計上の意図であり、設計思想であり、歴史であり、経済である。すなわち分解するとは、単にハードウエアの分解にとどまらず、その成り立ちの構想やアイデアや設計者や人や歴史や経済やソフトウエアまでも分解することなのである。技術や仕組みが高度化すればするほど、これまでにも増して分解し、疑問を持ち、扉をこじあけつづけたいものである。
(上)ザ・チェアー(ハンス・ウェグナー)の制作工房
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