消す、消える。隠れる。目立たなくする。これらは、他の存在に対する自意識から生まれる。他者と同等である、公平であるという差異を嫌う、逆に好む、同化したいとう習性は人間にとって常にある。同じユニフォームを着、同じような髪形をし、同じ情報やファッションを共有する。また、違う文化や方言の人間を排除し、強制的に同じ神や宗教や文化を押しつけるようなことは、日常的にも、歴史的にも事例はいくらでもあった。しかし、反抗し、固有性を主張するときは、あえて違いを強調する。あるいは、表面上、周囲と同じであるふりをするということもある。自他の明快な戦いの場では、迷彩服を着て周囲に消える。電波で補足しようとする敵に対してはステルス機を、捕捉されにくい地上すれすれを飛行する巡航ミサイル、潜水艦のスクリュー音をどのように消すか、といった軍事的消去は今や最先端技術でもある。
これらは、身のまわりにいる昆虫や、小動物にもよく見られる現象である。周囲にあわせて色を変えられる雨蛙や、ほとんどの淡水魚は保護色をしている。身をひるがえした時にキラリと光る魚体しか上空の鳥には見えない。と同時に婚姻色で身を飾るという矛盾もある。触れると枯枝のようなポーズを取る尺取虫や、七ふし虫は見事な擬態をもつ。
消えるかたちには積極的な手法と、消極的な手法がある。露出させるか隠ぺいか、露出しかなければ化粧をほどこして、見えないように隠すといった造形的手法などなど。同じかたちをリズミカルに配置させたり、住戸を連続的にそろえて町並をつくったり、都市のスカイラインや色を規制するなど、個々を消しつつ、人間の存在を前に押し出しているともいえるであろう。人の活動や、生活行為そのものを主役にするなら、良質の没個性に陥らない積極的消去デザインは重要な概念をはらんでいる。
(上)イタリア、アッシジの中世的集落
(中)スウェーデンの民家、スカンセン
(下)パリ、デファンスの新凱旋門
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