たくわえがある、ためがある、ということは何かにつけてゆとりへの入口である。いつでもどこでも必要なものを手にできることが、安定をもたらす。溜めがあるから、次の運動に展開していく。不意に対する備蓄、制度、二重回路が、安定した社会、文化を育む。つくる、たくわえる、流通は三位一体であって、どれに過不足があっても問題が生じる。特にたくわえ、ためるというストックに関しては見過ごしがちだが、重要な要素である。
弥生時代以降、人が定住できるようになったのも、生産と同時にストックが可能になったからであり、米を籾の状態で1年を越して貯蔵し、季節の変動に耐えられる方法、技術が確立したからである。備蓄する空間は、居住空間より強固で安定したものでなければならなかったであろう。外因となる水、熱、虫、動物といったものに対して、常に安定した温度や湿度のコントロール、密封性が必要とされたのである。正倉院が日本の風土の中で宝物を収蔵し、そのすぐれた建築的構法が賞賛されてきたのはよい例である。
また今も多く残っている土蔵は、その耐火性ともあいまって、日常の開放的居住空間と比較するなら興味深いスペースであり、蔵と母屋とがペアとなって日本の住形式をつくってきたと考えるほうが自然ではないだろうか。特に高温多湿の梅雨から夏にかけての季節は、開放型だけでは対処しきれない。たくわえる建築空間が他の建築にも大きな影響を与えてきたに違いない。
たくわえ、休止、たまり、時には無駄と思えるようなシステムなりスペースというものも不可欠なのである。そこからゆとりや豊かさや文化が生まれている。効率からいうとつい忘れがちな遊水地とでもいうべきものを、意識的に生み出していかなければならないだろう。
|