かたちとは何か、色とは何か、造形とは何か。どんなかたちがあるのか。どのように見て解釈するのか。どのようにつくるのか。どう楽しむのか、どのようなメッセージや理念が託されているのか。日常、私たちはこのような疑問符をつけて物を見ていない。
ふだん私たちは商品として物を買えば事足りるが、自ら道具をつくろうとするとき、はじめてかたちを決定する要因に様々な知恵が必要とされ、形の意味が理解できるようになる。金鎚に柄をつけるとき、どんな木がよいのか、どんな長さと太さがよいのか、どんなかたちが手に衝撃を伝えにくいのか。また、塑性のある粘土で器をつくろうとしたとき、水を溜めるという器の機能以外に、人形や、様々な模様が自由に造形できることを発見し、夢や願望をかたちに託していったのは当然であろう。こういった機能以外のコミュニケーションとしての造形の意味は古代も現代も変わらない。その仕組みや技術や、手法はまったく違っていても、目的に相違はない。造形の目的は、人間の世界観や理念や、地域やイデオロギーによって、様々な様式やスタイルを生み出してきた。いずれもかたちを特徴づける異なった形相をもつと同時にあい通じるものもある。
あるかたちを理想化する、劇画化する、リアル化する、単純化する、抽象化する、記号化する、差別化するといった造形の手法が意匠としてつくり手側にあり、一方、受け手側の立場もある。機能的に便利なものとして、また意匠を楽しみ、メッセージを受け取り、所有することの喜びを感じ、人と人とのきずなを確かめていく。私たちは過去をふりかえることは容易にできる。しかし、まだ見ぬ形は未来にあり続ける。
(上)野菜を人形に見立てる
(中)神社の飾り彫刻
(下)チャールス・レイニー・マッキントッシュの インテリア・デザイン
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