人は行為をし距離を確認し新たな関係を作っている。
行為することは関係を生産することであり、その結果として物も固定される。
物は関係の結果であり、新たに意味を発生させてゆく。
関係には目を楽しませる物と記憶を喜ばせる事がある。
食べものは身体を満足させ建築は心を潤す。
様々な関係を発見し、楽しい関係を創造してください。
参考に著者が手がけたいくつかの建築と京都で楽しめる和菓子を選んでいます。
「かたち」を見つけて楽しんでみよう。
視点のスケールをどこに合わせるかによって(自分自身の目がレンズになったような気持ちで!)、マクロからミクロへと見出される「かたち」は様々。
そして、日常の記憶、色や音、香りを楽しむ力、季節を感じ取る暮らし、歴史・風土への興味……それらが「かたち」と重なり合った時に、その「かたち」には意味が生まれ、楽しみは拡がることだろう。
戦争や地震、殺人などまさかと思っていたことに出くわしたとき、わたしたちは自分のからだや心がいかにか弱いかを思い知らされます。そしてそれでも生きている、生きていかねばならないということは大変なことです。 そんな大事件でなくとも日々の「生」の中では色々な出来事が身に降りかかってきますが、そのようなとき、これまで生きてきたことを拠に自らを内省していくことで他者とともにある自己を確かなものにするという、「生」きていく力を与えてくれる思考の方法があります。 いま、建築を取り巻く諸相は戦争とまではいいませんが厳しい状況にあります。これからその建築の世界に飛び込もうとしているみなさんが自らの「生」を築こうとするときにこの思考が活かせるのではないかという思いからこの思考に沿ってわたしのページは展開しています。
たとえば、あなたがものを認知する時に、何に注目をして眺めているのか。
いいかえれば、目の前に現われるシーンに対してどのような指標によって認識しているのか。
見ること、見られること。部分と全体。
つまり主体と客体がシフトすることで、意味も当然変化する。
ここで述べられた17のキーワードの内容については、哲学的・科学的・生態学的など、難しい解釈から始めようというのではない。
五感をたよりに、ただ単純に目の前に現われるシーンについて考えるきっかけとして、単純で簡単なところから思考の展開を始めてほしいのである。
そして、建築がそんなごくごくあたりまえのところから、始まっているのだということを確認していただければと願っている。
より豊かなかたちを発見し、創造するために、 その概念や形をばらしてみる。 人が作ったものには何らかのメッセージが託されているはずである。 疑問を持ちながら、そっと分解していくと、 様々な技術や設計思想や歴史や経済までもみえてくる。 てん、せん、めん、というキーワードは、目に見える形を 要素に分解するという、近代の思想ともつながっている。 しかくとまるは、幾何学という人間の数学的知性の爽快さが見えてこよう。しぜんとじんこうは、21世紀の環境問題となっていくであろう。 へんしんとうかぶは、日常と非日常のすきまにあって、 それぞれの人の心の願望のエネルギーとなる。 たくわえるというゆとりの気持ちのなかで、 せいしの美学を発見し、最期には創造しえたものが きえていくというのが理想ではなかろうか。