【教員コラム】「課題攻略トレーニング2」発想・構想力の鬼—中山和也
「鬼合宿」という恐ろしい名称の高校生や受験生向けのデッサンと発想のトレーニングのワークショップが、全国約10会場で開催された。「鬼合宿」では「デッサンの鬼」と「発想・構想力の鬼」の二人の鬼が合宿中暴れ回り、高校生や受験生を鍛え上げるというものである。高校生や受験生は、「鬼合宿」に参加して力をつけたいが、そんな恐ろしい企画についていけるだろうかと、泣きながらお母さんに見送られて新幹線に乗り込んだり、吐き気を催し朝食がのどを通らず空腹のまま会場に向かうなど、極度の緊張感に包まれながら参加していた。
デッサンと発想のレベルアップの企画であるが、真剣に二つの力を向上させたいという主旨であり、いざスタートしてみると恐しさというよりも、デッサンと発想力をいかに習得してもらうかについて研究を重ねたという意味での二人の鬼が登場し、手取り足取り力のつくプログラムが展開されるというものであった。どんなことがあっても手にしたい思いで参加した高校生や受験生のモチベーションは高く、真剣に参加していた。
僕が「発想・構想力の鬼」となり、観察することから発想へと結びつけることを三つのステップに分け、解説し演習へと結びつけていった。まず、「発想」とはどういうことなのかを共有するところからはじめ、語源から解釈すると「想ったことを発信する」=「見えていないものを伝える」となる。見えていないものを見る超能力を発揮するということでは、ほとんどの人ができるわけがないので、「見えているものをよく見て、その関係から見えていないところを推測し想像すること」と前置きした。
まず、見えているものをよく見るための観察として、一枚の写真を見せ、そこに何が写っているかを確認した。メインとなるものを確認して終わりにしてしまう傾向がある中、背景や小物まで何が写されているか観察をおこなった。ただ見えているものの確認にもかかわらず、写真の中心しか見ていないことが浮き彫りにされてくる。この写されているもののすべての情報を確認することができなければ、見えていないものなど想像がつくはずもない。
次に、推測をおこなう。観察では、港の駐車場に設置された仮設店舗の中で牡蠣を食べる若者の男性女性一人づつ、中年の男性一人が確認でき、その他にレモンを搾る手の人物、カメラで写真を撮っている人物の存在を確認できた。次の観察から、若者の男性が牡蠣を食べている場にもかかわらず、鞄を肩からたすきがけしたままで、こわばった顔をしながら写真に写っていることがわかる。加えて、若者の男性と中年の男性のあいだに空席が一つあり、牡蠣の殻のようなものが集められたお皿が椅子の上に乗せられている。なぜ、このような様子なのかを推測する。若者の男性と中年の男性のあいだには中年の女性が座っていたのだが、この女性は若者の女性の母で中年の男性の妻であり、牡蠣の殻を回収していた直後、席を立ちグループの写真を撮ろうと参加者の視線を集めて写真撮影をしたと推測できる。若者の男性の顔がこわばっているのは、結婚を前提にしている彼女のお父さんとお母さん、お姉さんに囲まれ、お母さんに牡蠣の殻の回収や写真撮影にと動いてもらってしまい恐縮していると推測できる。
ある程度推測できたところで、高校生や受験生に「これまでの観察と推測をもとにして、この写真のタイトルとストーリーを想像してください」と、お題を出した。推測は、現実の情報をつなぎあわせて真実を追い求めるという見る側の視点であり行為であったが、想像は、写真を見る側の役割ではなく、写真を表現する作る側の視点に立たなければならない。作る側が、見る側の推測をさらに超えるように、見る側を楽しませるために、見る側に物語を想像させるように準備をしていればいる程、見る側をイメージの世界に引き込みイメージの世界の旅に浸らすことができる。ここでは、みなさんにも作り手として想像して欲しいので、高校生や受験生がどのようなタイトルとストーリーにしたかは割愛するが、「発想・構想力の鬼」では、アイデアを考えた後発表をおこなった。
「観察→推測→想像」の流れをふんでいることで多くの見る側の人々の視点を共有でき、客観性が生まれ、他者を共感させることができる。この流れをふめていないと客観性が生まれず、誰にも共感されない独りよがりの妄想となってしまう。また、観察のステップのみの発想では、想像のない、他の誰もが同じように見える見たままのありふれた発想となってしまう。
「鬼合宿」は、高校生や受験生に向けたド直球な当たり前のステップの確認のワークショップであるが、発想に慣れてきた人にとっても、見落としてしまいがちな基本に立ち戻るよい機会となるのではないだろうか。「デッサンの鬼」も単なる描き方の技術ではなく、「発想・構想力の鬼」と同様に、「観察→推測→想像」の流れをふめていないとデッサンを描けないということがわかる。「デッサンの鬼」も「発想・構想力の鬼」も同じ結論になるという程、ド直球な「観察→推測→想像」を今一度確認してもらいたい。
中山和也(教員)